misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

おてんとさんの唄(うた)
                  金子みすゞ
日本の旗(はた)は、
  おてんとさんの旗よ。
日本のこども、
  おてんとさんのこども。
こどもはうたお、
  おてんとさんの唄を。
さくらの下で、
  かすみの底で。

日本のくにに、
こぼれる唄は、
  お舟(ふね)に積んで、
  世界中にくばろ。
こぼれるほどうたお、
  おてんとさんの唄を。
さくらのかげで、
おてんとさんの下で。
ちひろのコメント
とても素直に日本が大好きな、自分の国が大好きな気持ちが伝わってきます。みすゞさんは童謡を歌うのも大好きでした。日の光溢れる空の下、大好きな歌を喜びいっぱい歌い合う、この純粋さを忘れずにいたいものです。
2024/03/25の詩

足ぶみ
                  金子みすゞ
わらびみたよな雲が出て、
空には春が来ましたよ。

ひとりで青空みていたら、
ひとりで足ぶみしましたよ。

ひとりで足ぶみしていたら、
ひとりで笑えて来ましたよ。

ひとりで笑ってして居(い)たら、
誰(だれ)かが笑って来ましたよ。

からたち垣根(かきね)が芽をふいて、
小径(こみち)にも春が来ましたよ。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの春の詩のなかでも大好きなひとつです。ひとりでなんだか笑えてくるほど楽しい、春が来た喜び。その心が誰かさんにも伝わって、みんなに春が伝染していく。そして、小径にも春が来た。みんなに春が来ました。
2024/03/18の詩

畠(はたけ)の雨
                  金子みすゞ
大根(だいこ)ばたけの春の雨、
青い葉っぱの上にきて、
小さなこえで笑う雨。

大根ばたけの昼の雨、
あかい砂地(すなじ)の土にきて、
だまってさみしくもぐる雨。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの詩には雨や雪の気持ちを想像するものが沢山出て来ます。青い葉っぱにはじく、小さく散る雨が、笑っていると思いを寄せ、土に吸い込まれる雨を、だまってもぐると見つめるみすゞさん。童謡詩人ならではの感性を感じる1編です。
2024/03/11の詩

このみち
                  金子みすゞ
このみちのさきには、
大きな森があろうよ。
ひとりぼっちの榎(えのき)よ、
このみちをゆこうよ。

このみちのさきには、
大きな海があろうよ。
蓮池(はすいけ)のかえろよ、
このみちをゆこうよ。

このみちのさきには、
大きな都があろうよ。
さびしそうな案山子(かかし)よ、
このみちを行こうよ。

このみちのさきには、
なにかなにかあろうよ。
みんなでみんなで行こうよ、
このみちをゆこうよ。
ちひろのコメント
卒業シーズンにご紹介したくなる詩です。新たな道をそれぞれに進む、その先に、なにかなにかあろうよ、です。一人ひとり違う道でも、大きな大きな思いはひとつ。この世の中が、みんなが幸せを感じる世界であること。その大きな人生の道を、このみちをゆこうよ。です♪
2024/03/04の詩

お葬(とむら)いごっこ
                  金子みすゞ
お葬(とむら)いごっこ、
お葬いごっこ。

堅(けん)ちゃん、あんたはお旗持ち、
まあちゃん、あんたはお坊(ぼう)さま、
あたしはきれいな花もって、
ほら、チンチンの、なあも、なも。

そしてみんなで叱(しか)られた、
ずいぶん、ずいぶん、叱られた。

お葬いごっこ、
お葬いごっこ、
それでしまいになっちゃった。
ちひろのコメント
すゞさん3兄弟の仲良しな様子が伝わってくる大好きな詩のひとつです。この詩では自分を「あたし」と表現していて、他の詩では「わたし」の表記が多い中、そこに楽しさで気分が高揚している雰囲気が伝わります。叱られることを繰り返して、大人になっていくんですね。
2024/02/26の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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